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明け方のブロックサイン
第二話 八幡浜
魚市場
 八幡浜の魚市場に着いたのは、早朝5時半。欠伸をかみ殺しながら車を降りたが、5月の朝の空気は生ぬるく、かえって眠気を誘う。市場には若干の人影が見えるものの、私と同じでまだ半分眠っている状態だ。所在ないので車に乗って、シートを倒す。目を閉じると、そのまま深い微睡みに落ちてしまいそうだ。いや、私は実際に眠ってしまっていた。やばい!と慌てて身を起こすと、時間は5時55分。ぞろ目になったデジタル表示に、意味もなく「今日はいい取材ができそう」なんて呟いてみる。カメラを片手に、市場に飛び込んだ。ほんの30分前には人影もまばらだったのに、今は何人もの男たちが、右に、左に、忙しく立ち働いている。この市場に来るのは4度目だが、何度来ても決して飽きることはない。私は八幡浜のセリが大好きだ。  
 正式なセリのスタート時間は午前6時だが、何時も開始は少しフライング気味。セリのスタイルはこうだ。まず床には、魚が入ったトロ箱が並べられている。その様子はトランプの神経衰弱のよう。そこにセリ棒と呼ばれる竹の棒を持ったセリ人が現れる。セリ人が大きな声を上げて、セリの開始を告げる。たちまち仲買人がトロ箱の周りをぐるりと囲むと、セリ人の口上が始まる。最初は何を言っているか、まるで理解不能だったが、よく聞くうちに断片的に内容が伝わってくる。つまりは「さあ、この魚を買ってくれ」ということを言っているのだ。仲買人はセリ人だけに見えるように、自分が着ているベストで隠しながら値段を出す。セリ人がたちどころに最高値を付けた人を見極める。まるで野球のブロックサインのようだ。落札者はすかさず、魚を横付けしたトラックに運び込む。これをトロ箱の数だけ繰り返す。20も30も並んだトロ箱が、わずか3分ほどで全て行き先が決まった。こうした昔ながらのセリが、同時多発的に広い広い魚市場のあちこちで行われるから、市場の喧噪は大変なものだ。
 セリ人は次々と場所を変えながら、セリを繰り返していく。その間にも港には漁を終えた漁船が次々と魚を水揚げするので、市場の床には新しいトロ箱が次々と並ぶ。このままではセリは何時間も続きそうだが、6時30分頃には漁船の帰港も大方終わるから、トランプの札は段々と減っていく。
 セリが一段落したところで、セリ人の一人に気になっていたことを聞いてみた。「あんな短時間でよく誰が最高値を付けたかがわかりますね」と。美味そうにタバコを吸っていたセリ人は、「そりゃ、もう20年もやりよるからのう。ただ、間違うこともあるかもしれんが、誰もわからんじゃろ」とニヤリ。漁師町の男はお茶目だ。
 市場の前には、ここで働く人が腹ごしらえをする小さな食堂がある。アツアツのご飯とみそ汁、ガラスケースには焼き魚や煮魚、卵焼き、野菜の煮付けなんかが並んでいる。一仕事終えたおいちゃんたちに混じって、朝ご飯を食べることにした。ありきたりのメニューだが、これがたまらなく美味い。寄り道ついでに場外市場も覗いてみる。市場で競り落とされたばかりの新鮮な魚を扱う店がズラリと並んでいて、地元のお母ちゃんや商売人がひっきりなしに訪れている。1尾30cm近くもあるマトウダイという魚が、6尾ほど入ったトロ箱に1500円の値札が付いていた。聞けば6尾でこの値段。太刀魚、サザエ、ハマチ、ウチワエビ…どれも信じられない安さで、トロ箱一杯で1000円から2000円ほど。スーパーの5分の1、10分の1の値段だ。安さにつられて芝エビとマトウダイを貰った。マトウダイは刺身にして良し、鍋にして良しとのことで、サービスで3枚おろしにしてくれた。
 仕事も終わった。お腹も膨れた。土産も買った。世間はようやく通学・通勤の時間だ。八幡浜を後にして、松山に着いたのが午前10時。普段、仕事を始める時間だ。
 夜の街を徘徊する機会は結構あるし、それはそれで楽しい。だが、夜歩きをする自分は、どこかだらしない。潔い朝風景の中にいると、自分も少しだけ潔くなったような気がする。

八幡浜 八幡浜
◎文=阿部美岐子(シーズ・プロダクション)  ◎写真=川井征人(Capsule)

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