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cats on a back street
第一話 道後
道後
 18歳で松山を出て10年余り、私は2、3年周期で東京、新潟、長野、岡山…と移り住んだ。それは進学のためであったり、スキーをするためであったり、一緒に過ごしたい人の街の住人になるためであったり、理由は様々だったが、ただ一つ言えるのは、すべて自分の意志というか、やむにやまれぬ衝動に素直に従っての行動だった。
 その10年は、私にとって故郷に帰る長い旅のようなものだったのかもしれない、そう思い始めたのは松山に腰を落ち着けて数年してから。人生の中で最も出会いの多い時期にちょっと長めの旅をしたせいだろうか、気がつけば私は旅があまり好きではなくなっていた。その頃に知り合った友人の多くとは、場所を移るごとに疎遠になり、今では連絡先すら判然としないなどといった事実も、旅を好ましく思わせない理由になったのかもしれないが、プライベートで旅行に出かけることは、ほとんどない。しかし、よくしたもので、ライターという仕事に就いたお陰で、日々あちこちに出かける機会を得ている。私は取材の合間、あるいは取材を終えた後、ほんの少しだけ寄り道をする。ことに裏道歩き、路地歩きは、ささやかな楽しみのひとつ。
 松山という街で、ライターという仕事をしていると、年に4、5回は道後温泉界隈の取材依頼を受ける。ことに平成13年は、明治から昭和にかけて松山を走っていた小さな蒸気機関車が観光資源として復活したため、道後に足を運ぶ機会は例年以上に多かった。明治の文豪、夏目漱石の小説に登場したことから「坊ちゃん列車」の愛称で親しまれている列車は、明治風の意匠を施した道後温泉駅の駅舎に滑り込む。ここからL字型の商店街を抜ければ、「千と千尋の神隠し」の神様の湯屋「油屋」のモデルになったと言われる道後温泉本館。100年以上前に建てられた本館は、見るからに立派な建物で、正面には人力車が客待ちしていたりして、「これぞ観光地」という賑わいを見せている。名刺やらノートやら資料やらを入れた大きな鞄をたすきがけにして、首には愛用のカメラをぶら下げた私も、ここでは一人で温泉地を訪ねた、ちょっと風変わりな旅人に見えるだろう。だがこの旅人は、券売所で入浴券も買わなければ、記念撮影もせずに、スルスルと裏手の方に回る。そこは表の賑わいが嘘のような、ひっそりした裏通りだ。表通りのモダンなホテルとは対極にある温泉宿を横目に、かつての遊郭街・ネオン坂までぶらぶら歩く。人の気配はなく、道ばたで毛並みの悪い猫が欠伸をしていたりする通りに並ぶスナックやバーは、昼間、太陽の光のもとでは、どう贔屓目に見ても小ぎれいなゴーストタウンにしか見えない。中には実際に廃墟と化した店もあり、ちょっともの悲しいのだが、そのくせ奇妙にも安心めいた気持ちになれたりもする。日が沈んで、とりどりのネオンに明かりが灯れば、ゴーストタウンは一転、艶っぽいストリートへと様変わり。適当に酔っぱらった浴衣姿の紳士が、三々五々、重たげなドアの奥に吸い込まれていく。ドアの隙間からチラと見えた女性の顔は、やけに真っ白で、口紅の赤い色が目に焼き付いた。
 旅好きではない私の旅は、そんな瞬間にこそ存在している。

道後 道後
◎文=阿部美岐子(シーズ・プロダクション)  ◎写真=川井征人(Capsule)

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